舌がんと甲状腺がんになった妻 家族のぼやき

重複癌になった妻の経過とわたしのぼやき

大川小学校の閉校式

ニュースで見ました。 

news.yahoo.co.jp

 

そして地震当日のコトを思い出しました。

 

プレハブの事務所でデスクワークをしてて

 

あー  地震だ!!

 

んー  長い!デカイぞ!!

工場内では普段からヘルメットをかぶってました。

 

ヘルメットをもって事務所から全員で飛び出して

目に入ったのは向かいの5階建研究棟の屋上にあるエアコンの室外機が

落ちそうな感じで揺れ倒れた。。。

 

すぐに事務所でテレビを着け、

工場内の見廻りを行くことになりました。

 

その時も設備屋さんでしたね。

 

おれたちは工場内の自衛隊だ!!

と管理職が言い放ったのを記憶がある。

 

そして2人1組になって場内で怪我をしてる人等が居ないかを

確認する事になった。

 

・携帯が通じない

・余震が続く  

という状況で。。。。。

 

工場の近くでは家が崩壊してる!!!

なんて声を聞きながらも、言われるがままに場内に散りましたね。

 

 

その時も居た工場は端から端まで歩くと20分くらいかな。

建屋が12、13あって。まぁまぁ大きい工場でしたね。

 

怖かったなぁ  

余震があると屋根が崩れるんじゃないか?ってくらい  きしみ音  がして

工場内をだれか居ないかー?ってデカイ声出しながら歩いて


 

余震があったら場外に急いで逃げて、戻ったら樹脂配管が落ちてたりして。。。

 


 

会社としてはすぐ従業員を帰したんですね。

 

だから工場内は基本的には人が居ないはずなんです。

余計に怖かったですね。

 

 

幸い、人的被害がない事が分かって

わたしたちも帰りましたね。確か18:30頃でした。

 


 

もちろん  家族が心配で地震の後すぐにメールしてました。

通話はできなかったけど、妻の携帯とわたしの会社のメールでは

やりとりが出来てて。

 

通話は全く出来なかったですけどね。

 

当時、2ヶ月の息子と3歳の娘を連れて車の中に避難してくれてて

無事なのは知ってたので会社内を見回ることも出来てたんですね。

 

連絡取れないと気が気じゃないですよね。。。。

 

 

帰りの片側2車線  全4車線の国道を自転車で渡るのは怖かったのも覚えてます。

 

停電で真っ暗で、警察官が手信号で誘導してて…ヘッドライトの明かりだけ

いまじゃ  全く想像出来ないけど。。。

 

 

 

津波に遭われた方に比べれば全然、なんてことは無いけど

個々それぞれ思い返すと、いろいろな経験・思いがあるでしょうね。。。

 

 

 

 

阪神淡路、熊本、長野、奥尻等々  各地で地震に遭われた方はいるでしょう。

 

 


 

備えを常に!!

5年経って非常食買い換えないとな。。。。

 

すっかりサボってそろそろ1年経っちゃうな。マズイな。。。。